ぐうたらエンジニアだった20代の自分に手紙を書いてみた

この記事は、Crieitのアドベントカレンダー Advent Calendar 2018 6日目の記事です。

本日は S が担当しております。

エンジニアとして20年以上のキャリアがあるはずなのですが、振り返ってみると、「もう少しきちんと、自分のスキルを磨けばよかったなあ・・」 と思うわけであります。

そこで今回は、もし何も考えずに過ごしていた20代前半ぐらいの自分に会うことが出来たら、こんな高説を垂れてやりたいなー・・という内容を一人語り風の手紙にしてみました。(完全に老害モードですな・・。)

さて、はじまりはじまり・・。

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人生で一番後悔していること

やぁ、S君。

ずいぶんとおっさんになった自分から手紙をもらって、驚いているだろうか。

いきなりだけれど、君に伝えたいことがあるのだ。

それは、40代後半になった現時点で、とても後悔していることがある、ということ。

その辺りを君にもうちょっとイイ具合にやっておいていただきたいのだ。

何か後悔するようなことが起こるのか、って?

ふむ。

人間万事塞翁が馬、というし、起こった出来事は何かしらの形で必ず学びになっている・・とは思っているよ。

それに「ま、いっか」で済ましてしまう、割と執着しないタチなのは今もあまり変わってない。

なので、後悔することなんて殆どない、とは思っているのだけれど。

とは言え、それでも「もったいなかったなぁ・・」と思っていることがあって、それを20台の君に伝えたいのだ。

それは、20代に本を読まなかったこと、さ。

と言っても、君は少量ながらも技術系の書籍は読んでいたし、資格にチャレンジしたりして、多少は勉強する時期があったりもする。

ここで言う読書というのは、主にビジネス書や文学作品のことを指しているのだ。

ようやく読書をする習慣が身につくのは、29歳の頃。おそらく中学生あたりからその年になるまでのあいだ、君は年に一冊も読まない生活を送ってしまう。

これは非常に勿体無いことなのだよ。

パラダイムシフト

本や誰かの話に触れて、それまでの考え方を大きく揺さぶられる、という体験を君は何度かすることになる。モノの見方が大きく変わる、いわゆるパラダイムシフトというやつだ。

例えば、君は29歳の時、たまたまBookOffの100円コーナーで手にした「7つの習慣」を読んで愕然とすることになる。

1つ目の習慣「主体性を発揮する」に出てきた事例を基に、ざっくりまとめて解説してみよう。

  1. ある日、あなたが車を運転していると、朝の渋滞に遭遇する。
  2. そこに1台の車が強引に割り込んできた。
  3. あなたは非常に腹を立てて、窓を開け「ふざけるな!」と叫んだ。

日本ではなかなか見かけないとは思うが、海外ドラマなんかではありそうな光景だ。

この状況を客観的に解説すれば、

  • 車が割り込んでくる、という「刺激」が発生する
  • その刺激に対して、叫んだり喧嘩腰になったりといった「反応」を起こす

という流れになっていて、一見すると当たり前に思える。

叫んだ運転手の気持ちも分かるし、君もこの行動モデルが当たり前だと思って生きていると思う。

まぁ、臆病者の君が実際に叫ぶことはないと思うけれどね。

ところがこういう場合はどうだろう?(3.だけが変わっている。)

  1. ある日、あなたが車を運転していると、朝の渋滞に遭遇する。
  2. そこに1台の車が強引に割り込んできた。
  3. 叫ぼうと思った瞬間、その車の運転手が自分の上司だということに気づき、静かに窓を閉める・・。

おや、刺激は全く同じなのに、反応だけが変わってしまったね。

つまり、実のところ「刺激」と「反応」の間には「自分で選択する」という主体的な行為が挟まっているのだ。

細かく見れば、

  • 車が割り込んでくる、という「刺激」が発生する
  • 状況を考え、窓を開けて叫ぶか、やっぱりやめておくかを選択する
  • 自分の選択に従って「反応」する

となる。

それまで君は「嫌なことが自分に降りかかった時、腹を立ててそれ相応の態度をするのは当然だ」というパラダイムで世界を見ていた。つまり反応→刺激のモデルが当然だと思っていたわけだ。

ところが、この本を読んで「実は自分で行動を選択しているのだ」ということに気づかされ、愕然とする。

「自分の周りでどんな外乱要因が発生しようとも、最終的な行動は、自分が選択しているのだ」という考えを持っていれば、例えばお店で店員さんが失礼な態度を取ったとしても、それに「反応」してカッとして怒鳴る、というような行動が、いかに愚かなことかが分かる。

自分の周りにどんなことが起こったとしても、感情的にならず、誠実に冷静に対処できる。

自分はそう行動することを、自らの意思で選べるのだ。

そう心に留めておくことで、周りに振り回されるストレスからずいぶん解放されることになったわけだ。

残念なお知らせ

こんな具合に、他にも何冊かの本によって、目から何枚ものうろこを落とすことになるが、出来ることならこの経験をもっと早くにしていれば・・と強く思うのだ。

人よりもずいぶんと遅かったけれど、曲がりなりにも大学を卒業した君は、あっという間に気を緩めてしまった。試験の呪縛から解放された安心感から、「学ぶ」ということをしなくなってしまったのだ。

目的もなくぼんやりテレビを見たり、女の子と飲みに行くことばかり考えている今の君に、ちょっと残念なお知らせがある。

それは、本当の学びが始まるのは、実は社会人になってからなのだ、ということ。

しかも、学校のような仕組みが無いから、良質な学びは、能動的に吸収しに行かなければ得られない。

さらに言えば、現時点での実感としては、「素晴らしい!」「目から鱗がっ!」と思えるような本に当たる確率は、1%以下だと思う。つまり、相当な量をインプットして初めて、震えるような知見に出会えるのだ。

知識は防御力を上げる

そして、知識は防御力を上げる、ということも伝えておこう。

例えば「影響力の武器」を読んでいれば、ヘンなMLMに誘われてその気になる・・(でも根性ないから結局フェードアウトして、それはそれで良かったけどね)なんて無駄な時間を過ごすこともなかっただろうね。

それから、もう少し早い段階で世の中のお金の仕組みを学んでいれば、君が友人に誘われて入ったその生命保険が、いかに酷い契約になっているか、早めに気づけたと思うよ。そういえば彼女、「生命保険は人生で2番目に高額な買い物である」という大切なことすら教えてくれなかったっけ…。

ついでに言っておくと、世の中で一番の勉強家は詐欺師だ、と言われるけれど、これは的を射た表現だと思う。

ニュースで喧しく特殊詐欺への注意喚起が報道されていて「なんであんなのにひっかかるんだろ?」と不思議に思う人も居るけれど、彼らはマーケティングと確率論と心理学に基づいて、完璧に仕事をこなしているわけで、相当な研究を重ねているはずだ。(その努力を別の形で活かしてもらいたいとこだけど)

彼らから身を守るためにも、心理学や行動経済学は学んでおいた方がいい。

特に君みたいな、断るのが苦手で人当たりのいいエンジニアは格好のカモなのだよ。

人の話を聴きにいく

さて、さらにその後、君の内面を大きく変える出来事に遭遇する。

友人からの誘いで、とある人の講演を聴きに行ったのだ。

その講演を聴いて、君は

「今まで何も深く考えないまま、周りに流されて生きてきちゃったなー・・ガビーン・・。」

とまたしても衝撃を受けることになる。34歳の時だ。

その人の講演は YouTube にゴロゴロ転がっているので紹介しておこう。もしかすると今の君には響かない可能性も高いから、少し話を聴いてみて、自分に合わないと思えば気にせず止めてしまえばいい。

一方、仕事面でも、自らが動いて人との交流を持った方がいい。

すでに感じているかもしれないが、社会人になると、基本的に職場と家との往復だけになる。

すごい人たちが集まる職場に務めていれば良いのだろうけれど、君も気づいている通り、尊敬できる先輩が居るとは言え、ずば抜けた人が居るわけでもない。

収入もスキルも、属している組織で大きく変わる。君の周囲10人のスキルを平均すれば、それが君自身のスキルだ。

そのまま職場と家との往復ループを続けていれば、あっという間に自分の世界は狭いものになってしまう。

早いタイミングで、社外の勉強会に参加し、自分のショボさを味わってほしい。

そのまま行けば、自分の中の基準が低いまま、「まぁこんなもんだろう」とぬるま湯につかって年齢だけ重ねてしまうだろう。急ぎたまえ。

知識を振りかざす人間は凄まじくかっこ悪い

さて、本を読む、人に会うというインプットの話をしてきたけれど、一つ注意点がある。

少し先の話だけれど、君は結婚し、子供にも恵まれることになる。

そして第一子が生まれた時、既に読書の習慣があった君は、いわゆる子育て本を読み漁る。

そこで君はやってはいけない愚を犯すのだ。

初めての子供ということもあって、奥さんが子育てでいろいろと悩み、時に考え方の違いから夫婦間で口論になったりもする。

その時に君は、「なぜそんなことで悩む?この本のココに答えが書いてあるんだけど?」と、ご丁寧に付箋まで貼って本を突き付けたのだ。

今思い出してもぞっとするけれど、もちろんそんな風にされて、素直に読むわけがない。さらに関係が悪化して・・。いや、その後どうなるかは、君の将来の楽しみにとっておこう。

知識を吸収する事で、自分自身の考えを深めたり、より広い視点を持つのは良いことだと思う。

だが、その知識を他人に向けて振りかざした瞬間、相手の態度は硬化し、心を閉ざしてしまう。

この構図は、とても滑稽だということを肝に銘じておいた方がいい。

「Sさんっていろんなこと知ってるんですね!ステキ~」なんて言う人はどこにも居ないし、大抵の人は「知ったかぶりして知識ひけらかしてる・・恥ずかしい人だなぁ・・」ぐらいにしか思わないものなのだ。

結局のところ、好奇心スイッチもやる気スイッチも、人間の内側についていて、他人が外からオンオフすることは出来ないのだよ。

本には正解が書かれているという誤解

さらに、知識を吸収していったときに陥る罠をもう一つ伝えておこう。

とあるテレビの企画で、ITベンチャーの社長に、起業家を目指す若者をかばん持ちとして同行させる、というものがあった。

その若い社長さんは時の人で、メディアにも多く登場していた。番組撮影当時はイケイケで高飛車なキャラとして有名だったし、かばん持ちの若者にとっても相当近寄りがたい人だったと思う。

ちょうどその頃、検索ポータルサイトが乱立していて、その社長さんも有名なサイトを運営していた。

若者は、終始寡黙に社長の後をついて回り、誠実にかばん持ちとして動いていたのだが、彼はタクシーの移動中、とにかく何か社長と話をしたいと思い、質問をぶつけてみる。

「社長が運営されている検索サイトは、例えば特定の年齢や趣味と言った分野にフォーカスする、ということは考えていらっしゃらないのですか?その方が人が集まりやすいと思うのですが・・」

それを聞いた社長は、激昂してこう叫んだ。

「ふざけるな!お前に何が分かる?フォーカスだと?なんでそんなことしなくちゃならないんだ、説明してみろよ!」

恐らくこの若者は、ビジネス書として古くから有名な「フォーカス!」という本を読んでいたんだと思う。本に書いてあることは正解であると思い、親切心から提言したんだろうね。

社長さんの怒りと勢いに気圧されて、その若者はまともに説明できなかったのだけれど。

学びを進めていくと、不思議な全能感に溺れてしまうことがある。本を読めと勧めておきながら、逆説的ではあるけれど、実のところ知識に大した価値はないのだ。何かしらの行動を起こした時に、はじめて吸収してきた知識に助けられる。

しかも残念なことに、知識はすぐに古くなってしまうことも多い。ある一時期に世間でもてはやされた何か(企業やモノやサービスや○○メソッドのような手法などなど)が、数年後には「あれはダメだったよね」と廃れてしまっている、なんて現象は枚挙にいとまがない。

だからこそ、常に意識して欲しいことがある。

今頭に浮かんだその考えは、自分がゼロから生み出したものだろうか?

それとも、本やネットで拾った情報だろうか?

そう自分に問いかけてみてほしい。

きっと9割以上が後者だと思うから。

哲学は学ぶものではない。するものだ。

君が41歳になった時、「14歳からの哲学」という本に出会う。

哲学というと、その昔、誰がどんな考え方を・・といった歴史を学ぶイメージがあるかもしれないが、そうではない。

自分なりに簡単に言ってしまえば、「当たり前だと思っているものを、いちいち自分の頭で考えてみる」という行為だと思う。

例えば、君は中学を卒業したあと高校に進んだわけだが、「なぜそうするのか?」についてはこれっぽっちも考えなかった。

その当時に「なぜ高校へ行くのか?」と質問していたら、きっと君の答えは「え、普通でしょ?みんな行くし。」というところだっただろう。

逆に言えば、9割以上の人が中学を卒業したら働く、という世界にいたなら、大して勉強が好きでもない君は、やはり何も考えず、周りと同じように働きに出ていただろうね。

これは、小学生のギャグに出てくる、

(先生)田中!おまえなんであんなことしたんだ!

(田中)いや、山田君がやってたから・・

(先生)ほな山田が死んだらお前も死ぬんか!

と同じ構造なのだよ。

他にも僕らは、いろいろな意味で、ある意味「あたりまえ」に洗脳されている。

例えば、ビジネス用語でボリュームディスカウントという言葉がある。

10個買うなら3%割引、50個まとめて買ってくれるなら8%割引にしますよ、というあれだ。

いたって普通の取引条件に思える。

けれど、よく考えると、大量に欲しいのは買う側なのだ。それだけ需要が大きいということは、供給側が強気になってもいいはずで「50個も必要ならば、割引率は1%にさせて貰います」と言われてもおかしくない、とも考えられるわけだ。

雇用と言う概念にしても同じで、そもそも「正社員」と言う言葉自体、昭和に入るぐらいから出てきた言葉だ。(出典:「正社員時代の終焉」https://www.works-i.com/pdf/r_000127.pdf

原始時代の人が雇用について悩むことはなかった訳で、となれば、どんな生き方をするかは自分で決めれば良いよね。

会社員の大きなメリットである「安定」というものも、よくよく考えてみた方がいい。

月の稼働日数にはばらつきがあるのに、月給は固定額で支払われるのって、不思議だと思わないかい?

それに、有給休暇っていう制度は、働かない人に対しても給料を払わなきゃいけないってことなんだけど、君が給料を払う側だったらどう思うだろう。

そして、これらを賄うバッファって、一体どこにあるんだろうね?

さらに言えば、「安定」というのは、実は「高額な退職金」が約束されてはじめて担保されるものだったりするんじゃないだろうか。

とすると、退職金の正確な金額を知らないまま会社に居続ける、というのは、相当恐ろしい行為だという気がしてくるよね。

とまぁ、変に煽るようなことを書いてしまったけれど、転職やフリーランスになることを勧めたいわけじゃない。

とにかく、「あれ?ちょっと待てよ?」と、自分の頭で考える癖をつけて欲しい、ということさ。

そうしなければ、ただでさえ意志の弱い君のこと、世間の「あたりまえ」に流されてしまうだろうから。

検討を祈るよ。

 

・・という訳で、この記事、すっかり crieit さんのアドベントカレンダーの趣旨から外れているのではないか・・?と焦っております、ハイ。

「技術面だけではなく、多方面に幅広い人間を目指しましょう!というエンジニアへのエールなのです!」とエクスキューズしつつ、幕を閉じたいと思います。

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さて明日は、バズるクソアプリをクリエイトする鬼才、オクムラダイキさんですっ。

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