【第三章】紆余曲折

2021/08/13

ぬるま湯の日々

さて、第2章の最後、「ぬるま湯」と書いた状況がどんなものだったかと言いますと…。

基本、定時ダッシュでお仕事終了。

リリースなどの重要な日以外は、割と気兼ねなく休みが取れる。(もちろんその分は売上が減る)

時間単価は3,000円を切る金額。相場からするとかなり安い。

と、時間の融通が利くというメリットがある一方で、売上的には「生活費はなんとかクリア、でもカツカツで貯金する余裕ゼロ…」という状況でした。

「自分の時間をつくって投資するのだ!」とは思っていたものの、その割には何も進まない日々が続いていました。

起業家からのスカウト

さて、そんな風にエンジニアとして生活費を稼ぎつつも、コンサルタントとしての事業は何も進んでいない日々が続いていたころ、ある若い起業家から声をかけられました。「自分の仕事を手伝って欲しい」と。

以前から交流があり、誠実に事業をされている方ではありましたが、副業のような形ではなく主要メンバーとして事業に参加してほしいとのお話で、こちらもどう返事をしていいか戸惑います。

軽い気持ちで試しに誘ってみているだけかな?と思っていたんですが、どうやら本気のようです。東京から説明のためだけにわざわざ会いに来るとのこと。

心配していた収入面も、具体的な金額の提示があり、安く叩こうとしているわけでは無いようです。

少し悩みましたが、「やらずに後悔するよりは、やってから後悔した方が良い」なんていう格言を思い出し、お請けすることにしました。

さよならエンジニア

その仕事の内容はと言いますと、プログラマーやエンジニアとは全く異なるものでした。分かりやすく例えるなら、 Web ディレクターのようなものでしょうか 。多くのお客さんに対してネット上でのコンテンツ配信をサポートしたり、集客のための企画を提案したりといったお仕事です。

マーケティングに関して色々と実践していたこともあり、また技術的な面にも強いことからお声がけいただいたようです。

こうして長く関わっていたIT業界から少し離れることになりました。

名古屋在住の前提なので、月に1~2回ほど東京に訪問。お客様と打ち合わせを行って、名古屋に戻ってからはチームメンバーのマネジメントやコンテンツ制作を行います。

がらりと仕事のスタイルが変わりましたが、人間は意外に適応力があるようです。慣れてしまえばそれほど大変ではありませんし、逆に、たまに東京へ行けるというのがとても良い刺激となりました。

「働き方」とは…?

その時に強く感じたことがあります。

それは、「働き方というのは、実はずいぶんと自由なものなんだなぁ…。」ということ。

特定の場所に通勤してそこで仕事をする、というスタイルが長く染みついていたので、いざ、完全に自由な働き方をしてもよいとなった時、結構な戸惑いを覚えたんです。

地元で自営業をしている友人と平日にランチに行ったり、平日午前中の空いている時間帯にマッサージをしてもらいに行ってみたり。

はたまた、明るいうちにビールを飲みながらアイデアを練ってみたり。

最初のうちは、やはりこんな風に思うんです。「俺、こんなことしてていいんだろうか…?」って。幸せを感じつつも、なんだか妙に罪悪感もあったりして。

そんな時に、起業家の先輩から言われました。「フリーランスなり起業なり、それ自体結構なリスクを取ってる訳でしょ。役得だと思って楽しまなくちゃ。」と。

それ以来、誰かの役に立つ、世の中に多少なりとも貢献する、という軸からブレなければ、いつ仕事をしても、いつリラックスする時間をとっても、好きに決めればよいな、と思えるようになりました。

喧嘩別れ

さてさて、そんな働き方を始めてから 十ヶ月ほどたった頃でしょうか 。

リモートワークの割に、エンジニア時代よりも忙しく働いている状態が続いていました。その割には経営者からすると成果が上がっていないと感じていたようで、当初の想定よりも収入が低くなっていました。

もっと攻めを意識した提案でお客さんと関わってほしい経営者。

性格的にそれができない自分。しかも、ただでさえ忙しいのに、わざわざそんな提案をしたら自分の身を滅ぼすだけなので、つい保守的な発想になってしまいがち…。

だんだんとお互いに求めるものがズレてきたようです。

雇用されているわけではなく、一般的な業務委託でしたが、やはり全くの対等な立場というわけにはいきません。

お互いにストレスが溜まっていく状況だったので、どうやら先方も方向転換を決意したようです。

新しいメンバーを探してきたから、彼に仕事を引き継いでくれ、とのこと。

多少腹は立ちましたが、その仕事から離れられる嬉しさの方が勝っていました。

こうして10か月の冒険は、あっさりと幕を閉じたのでした。